NZでキウイフルーツのピッキングジョブをしたお話

te pukeという町に到着してから同僚の人に銀行開設やIRDナンバーの申請を手伝ってもらいました。この町は本当に田舎町で娯楽は映画館とTAB「競馬以外にも売ってる場外馬券売り場」的なところしかありません。TABに関してはまだ怖くてここでは行くことができませんでしたが、のちのちニュージーランドで東京シティー競馬(TCK)を扱うようになるのでオークランドで行くことになる。手続きがいろいろ終わりそこからピッキングの仕事がスタートしました。

f:id:srisu1217:20180617003937j:plainf:id:srisu1217:20180617011324j:plain


ピッキングの仕事はだいたい朝9時に移動して夕方6時までが仕事時間です。正確に終了時間は決まってなく暗くなったら危ないから終わるって感じです。一つのファームが早く終わって、帰れるという希望を持ってはいけません。時間が1時間でもあったらみんなで違うファームに移動します。たまたま自分のピッキングチームはインド人ばかりでそこで、日にちが経つに連れてヨーロピアンも増えて来ました。自分がいたチームは15人くらいで日本人はいませんでした。それでも自分たちのマネージャーがインド人であったり、周りがインド語で喋ってて理解できない自分には孤独感がひどく、だんだんと病んで行きました。基本雨の日以外は休みがなく働くので、雨の日なんかでも娯楽がないので家に基本いるしかありません。仕事が早く終わっても田舎町は危険だから一人で出歩くなと車を持ってない自分はどこにも行くことができず、バスもない田舎町で自分はとても辛い思いをしまいした。

f:id:srisu1217:20180617004825j:plainf:id:srisu1217:20180617004821j:plain

ピッキングの仕事はリュックを前に抱えるイメージで、自分の頭の高さくらいにぶら下がってるキウイフルーツをひねって取る感じ、それがとても重くて大変です。自分なりに頑張ってるつもりが周りの人は体格が大きく仕事が早いので、いつも怒られていました。それと1日の仕事時間も長く仕事がかなり大変なので長時間のおしゃべりは難しいので、カイジの地下帝国の労働をイメージして仕事をしていました。野球をずっとやっていた自分ですが、家でも仕事先でも全員インドの方ということと仕事の辛さからこれ以上やったら英語の勉強をしに来てるのに体が先に壊れると思った自分は三週間で逃げるように仕事を逃げ出すような形で適当な嘘ついてやめて来ました。(それがまためんどくさかった)そうしてオークランドに戻って語学学校とフラット(シェアハウス的な意味)を探しました。今はオークランドに来てから一ヶ月がたち精神的にも元に戻りましたが、引っ越す前は毎晩泣いたりして、海外の洗礼を肌で感じた思いでしたが、今思えばあれよりキツイものはないと物事を考えるようになりそれなりに良い経験をできたとポジティブに考えるようにしています。